文義文化財団地

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Basic info

  • しょざいち忠清北道清州市上党区文義面大清湖畔路721(文山里サン6-1)
  • 問と合わせ先82-43-201-0915~6
  • ようやく「文義文化財団地」は、1980年の大清ダム建設を契機に、1992年から基本計画が樹立され、約3万3000坪規模の敷地に造成された文化財団地である。団地内には、酒幕(宿屋を兼ねた居酒屋)、両班家屋、民家、鍛冶屋、旅幕(宿屋)など、昔の生活様式が再現されており、歴史教育の場として活用され、一般開放された青南台とともに注目を浴びている。

詳細情報

「文義文化財団地」は、1980年の大清ダム建設を契機に、1992年から基本計画が樹立され、約3万3000坪規模の敷地に造成された文化財団地である。団地内には、酒幕(宿屋を兼ねた居酒屋)、両班家屋、民家、鍛冶屋、旅幕(宿屋)など、昔の生活様式が再現されており、歴史教育の場として活用され、一般開放された青南台とともに注目を浴びている。


過去と未来、そして現在が共存する
清原郡の郷土文化遺跡「文義文化財団地」


文義文化財団地は、清州から大清ダム方面に向かって地方道32号線沿いを進んだところにあり、そこからさらに進むと、広く開けた大清ダムが見えてくる。文義文化財団地は、大清湖が見下ろせる景色の素晴らしいところに位置し、地域住民のみならず家族単位での観光客が多く訪れる。

挨拶

田舎びた地味さと新都市としての新たな夢を見るフュージョン村“文義”を過ぎると、屏風のように広がる緑陰に染まる大清湖が目の前に現れる。そして、その先の養性山の丘陵には、訪問客を出迎える準備を進める文化財団地がある。
澄み渡る空から降り注ぐ陽光を一身に浴びる大清湖を、切ない思いと温かい眼差しで見守る「文義文化財団地」!養性門から足を踏み入れ、チャンスン(木像)とソッテ(鳥竿)の前に立つと、広大な湖の清涼な風が心身をリフレッシュさせてくれる。
1980年の大清ダム建設によって水没危機に面した地域文化財を保存し、地域住民たちに憩いの場を提供するという趣旨で1992年から基本計画が樹立され、約4万坪の大地に民家5棟と官衙(役所)、城郭及び城門、遺物展示館、そして5,000坪規模の駐車場が造成された。
先史時代の石造りの墓の一つで、青銅器時代のものと思われる支石墓、多産や繁殖を象徴する祈子石を巡ると、忠臣門と孝子閣が心に悟りを開かせてくれる。

設立の趣旨

文義文化財団地は、 1980年の大清ダム建設を契機に、1992年から基本計画が樹立され、約4万坪の大地に文化財団地が造成された。ここは、清州市内の有形・無形文化財を収集・展示して人類文明の発達と急激な産業化によって消えつつある清州固有の伝統文化を再現し、先人の生き様と精神を蘇らせた学習を目的とする生きた歴史教育の場である。


団地内には、文義アドゥギ支石墓、米院寿山里支石墓、内秀鶴坪里支石墓や文義県の官衙(役所)である地方有形文化財第49号の「文山館」、そして、琅城面官井里、文義面芦峴里、芙蓉面芙江里から民家が移転されており、徐德吉孝子閣、金善復忠臣閣及び文義地域にあった昔の碑石もまた、移転されている。


先人たちの生活様式を垣間見る両班家屋、酒幕(宿屋を兼ねた居酒屋)、土塀の家、鍛冶屋、城郭などが考証を経て建立されており、遺物展示館には、琅城面武城里にある英祖大王胎室の造成を記録した地方文化財第70号の「英祖大王胎室加封儀軌 」をはじめ、清原で収集された遺物を展示する遺物館と、百済時代から近代までの瓦を時代別に分類した瓦展示館がある。


この他にも、文義面から10分以内の地域には、清州市民が多く訪れる“養性山の登山路”、“チャグン龍窟”、“噴水”、快適なドライブコースである“青南台ロード”、青少年の体力鍛錬場である“青少年修練館”、忠清北道地域の作家たちが集まる“芸術人の村”などが造成されているため、「文義を訪れると文化が見える」という言葉が実感できるところである。


アクセスは、清州から大清ダム方面に約15km、車で約20分ほどかかる。また、市内バスは、清州から文義までの路線が約30分毎に運行されている。

主用配置図

문의문화재단지 주요배치도
  • 養性門
  • 民和亭
  • 文化遺物展示館
  • 芙蓉面芙江里民家、文山館
  • 文山館
  • 両班家屋
  • 金善復忠臣閣
  • ノリマダン
  • 文義芦峴里民家
  • 琅城面官井里民家

団地紹介

文義民家、琅城民家、酒幕(宿屋を兼ねた居酒屋)、ノリマダンなど、単に先人たちの生活像を見せているのではなく、枝折り戸や土レンガ造りの3間からなる茅葺屋根の家など、当時の貧しい庶民たちの生活像をそのまま見せてくれる。


両班家屋内には、観覧客がざっと見て通り過ぎないように、衣食住をはじめとする民族芸術や日常で必要な道具などをテーマ別に分類・展示し、写真とともにその用途や意味などを説明するなどして理解しやすくなっている。両班家屋の裏には、“孝”の文化を象徴する、“侍墓暮らし用の喪屋(墓の傍らに建てられる居住用の仮小屋。父母の喪中にこの小屋で三年間過ごす。)”が家廟とともに造られている。
若い世代に敬老孝親の思想を伝えるために建立されたこの喪屋の中には、伝統喪礼及び祭祀の手順や写真、祭祀用のお膳、葬祭の模型などが展示されている。

緑の絨毯こと“芝生”が敷き詰められた「ノリマダン」では、これまで多様なイベントが開催されてきた。春の“大清湖国際環境美術祭”、秋の“清原文化祭”では、地域住民が一丸となって共感の空間を創り上げる。週末には、伝統婚礼が執り行われ、韓国固有の文化を広く伝える伝達役としての役割を果たしている。また、来年から開始される“郡守行列”イベントも期待されている。

団地の奥へと進むと、中部地方では稀な「石葺屋根(芙蓉民家)」がある。平らな石の瓦を屋根に葺いた家で、とても珍しいものである。


地方有形文化財第49号の「文山館」には、殿牌が安置されており、国命で派遣された使臣たちの宿所としても使用されていた重要な建築物である。毎月一日と望の日には、王が居住する王宮に向かって礼拝を行う儀式が挙行された。


文化財団地の誇りである「遺物展示館」は、瓦をテーマに推進され、現在、新羅や百済瓦当約200点が、時代別、種類別に展示されている。また、民俗資料90点、書籍類150点、その他遺物60点も展示されている。


展示館の前庭には、高麗時代に築造されたものと思われる「文山石橋」が復元されている。

How to come

京釜高速道路(8.7km) → 唐津盈德高速道路(9.5km) → 大清湖畔路(1.6km) → 到着

地図